なかむら第二針療所
 
心の病のための鍼灸治療

Acupuncture for Mental Disorders

 心の病は、先進国ほど多いと言われています。嫌なことがあったとき少し落ち込んだりすることは誰でも経験があることです。しかし、PTSD(Post Traumatic Stress Disorders)に代表されるように、心の傷があまりに大きいと、後になって様々な心の不調を来したり、また日常生活に支障を来すほどになったりします。鍼灸治療が心の状態をいかに改善できるかという議論は、他の疾患に関する議論よりも遙かに困難です。しかしながら、鍼灸治療を行い、偶然にしてはあまりにも劇的に(もちろん多くは緩やかに、ではあるが)改善される場合が数多く存在することは疑いもない事実です。実際に、当院へ来院されている方々で、パニック障害にはほとんどが有効となっています。他にもうつや心身症に分類される各種症状に、大きな効果が現れています。

 さて、以前鍼灸の専門誌から依頼を受け、執筆した論考があるので、ここに載せることにします。

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「鍼灸OSAKA・第79号☆特集・臨床シリーズ49・うつ病、うつ症状」より

     精神疾患に対する鍼灸治療(うつを中心として)
    (キーワード・うつ病、精神分裂病、パニック障害)
                  (社)日本鍼灸師会学術局委員
                  (社)京都府鍼灸師会理事IT委員長
                  (社)全日本鍼灸学会広報部員
                   なかむら第二針療所
                             中村 一徳
はじめに
 この題で鍼灸に関して論ずることの難しさは、臨床鍼灸師の誰もが感じることではないだろうか。鍼灸治療は精神状態にどのような影響を与えるのか。うつなどの精神科及び心療内科領域に属する患者は、日常診療で一定割合を占めるものの、その明確なエビデンスはあまり存在していないと思われる。鍼灸で脳波が変化したとか言っても、それが「うつ病」などという大きな壁にどれだけ有効なのか、私はあまり肯定的ではない。それは、例えば、全身麻酔で患者の意識がなくなること(薬剤が心に及ぼす作用)について、薬剤という歴然とした化学式をもつものでさえ、その作用機序が曖昧であるのに、鍼灸の精神的な効果があるとして、そのエビデンスが発表されるのは、果たしていつのことか。それを開業鍼灸師の私が論じるべき問題では、やはりないのである。加えて、精神科疾患においては「患者の数だけ病理パターンがある」とか「臨床心理士の数だけ手法がある」と言われるように、非常に論じにくい分野である。

1・私と心理学との関わり(自己の分析)
 今を去ること20年近く前、勤務時代にユング心理学に傾倒していた私にとって、最大の苦しみは「自己とは何か」という大きな命題に突き当たったことである。つまり自分自身の自我が客観的に把握できないで、精神科疾患は診られないと判断したのである。それが私を精神分析に突き動かした大きな理由である。またその頃、スイスのユング心理研究所で鈴木大拙氏が講演された内容を読み、続いて臨済禅に傾倒し、座禅をしながら自身の心のありようを学んだ。そして、仏教とユング心理学に共通するマンダラに興味を抱くことになり私の心理学の学習は一旦終了となる。
 さて、話を戻して、私はそれから臨床心理士のもとへ毎週、約半年間、自己の精神分析に通うことになる。この精神分析というものは、非常に大きな苦痛を伴う。自分の呼び起こしうる限りの記憶の断片と現在の自我の構成要素との関連性を見つけていく、という途方もない作業であった。しかも、心の内を真に包み隠すことなく話さねばならないのは、とてつもない苦痛である。時には、何を話したらよいのか、どう話したらよいのか分からず、30分も沈黙が訪れることがあった。しかし、この分析を通して、自分の性格の一番の欠点が何に由来しているのか理解できたことは、自我の変革に大きく役立ったことは言うまでもない。この時の主な手法はカウンセリングと自律訓練法であった。
 その後、京都大学教育学部の中の、河合隼雄先生(日本におけるユング派精神分析の第一人者、現文化庁長官)の創設された臨床心理センターで分析を受けた。そこでは箱庭療法なども使われた。しかし、この時のカウンセラーとは相性が合わず、継続を断念することになる。私が、日々の治療において精神科疾患の患者に接するときには、こういった学習と経験がバックグラウンドに存在する。

2・鍼灸治療という現場での臨床心理学の応用(精神科疾患を診る心得)
 しかし、そういった経験は、更にこの領域における興味を増幅することになる。勤務時代は、精神科疾患の患者さんを出来るだけ診させてもらえるように他の先生に頼み、精神分裂病、双極性うつ病、うつ病などの患者に多くあたらせてもらった。なかでも、破瓜型精神分裂のある患者さんは、一生忘れることが出来ない患者さんである。それをここで紹介したい。
症例1「破瓜型精神分裂」男性・25才位・無職
 某公立大学医学部に在籍し医師国試に不合格となった事を契機に発症。その頃、描画療法を勉強していた私は、積極的にこの方法を使用していた。患者にいろいろな絵を描かせるのだが、最も顕著に状態が分かるのは自画像である。その時の絵は、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。輪郭を含めた全ての線は、筆圧の非常に強い一筆書き調で、目は大きくこちらを凝視し、手足はピンと一直線に伸び、しかも袖から出ているはずの手が一切描かれていなかった。一般的に手が無い絵は、人とのコミュニケーションが取れないことを意味し、病態を非常に具体的に表現していた。母親が作ったうどんをミミズと言い、コロッケがゴキブリに見えると言い、テーブルをひっくり返す。また、世の中の人間は全員がゾンビだと信じ込んでいた。
 では、このような症例に鍼灸治療が客観的に効果を持つのか、といえば、答えは否である。焼け石に水である。この患者さんは、私の師事した臨床心理士の先生に紹介することになる。
 ここで、精神分裂といううつ病とは異なった病態を持ち出したのには理由がある。精神科疾患は、言動から予後を判断することは危険だからである。一見、病態が穏やかに見えるうつ病が、実はその予後がこの分裂病患者以上に長期に及ぶかも知れないからである。原因がその人の今まで生きてきた人生のどこに、またはどの期間に、更に言うなら他者とのどういった関わりに由来するのか、という問題は、全ての精神科疾患で探らねばならない不可欠の命題であることに変わりはない。精神科疾患の治療の困難さは、年齢が進むに従って性格を根本から変えるのが難しいことと全く同義である。ちなみにこの分裂の患者さんを診た臨床心理士の先生は、母子分離の失敗が原因だと言われた。父を亡くし、母一人子一人で、病気とはいえ家にいつもいて子供の面倒を見る事に母親が至福を感じ、子供はそこに依存していることの快感を味わっている、という事であった。こんな状況で、鍼灸治療が何をか出来るのか。いや、何も出来ないならまだしも、カウンセリングなどの技術もなく接することは、疾患の悪化を容易に招いてしまうので、最大限の注意を払う必要がある。更には、不用意な言動で、患者から恨まれたりすることも十分にあり得ることを肝に銘じておくべきであろう。
 ここで話を180度転換してみたい。様々な精神科領域の患者を診ていると、自分自身に変調が起こってくる。例に漏れず、私自身が幻聴、幻視、入眠時幻覚、といった様々な症状に悩まされることになる。結果、自分が精神科の患者となってしまった。夜中に自分以外誰もいないはずの部屋に明らかな人の気配を感じたり、患者十人くらいに怒鳴りつけられたりと、日々それは惨憺たるものであった。しかし、一般の精神疾患の患者と異なり、原因がよく理解できていたので動じることはなかった。とりあえず、これは多くの患者を一度に受け持つのは危険だと、身を以て体験することになる。

3・うつ病に対する鍼灸治療の実際(限界を知った上での対処)
 一般的に気の流れを調整する事によって効果を上げようとする鍼灸が、今まで書いてきたような精神科疾患特有の根元的な部分に、果たして作用するのか。私はほぼ100%不可能と考えている。では、鍼灸に出来ることは何だろう。
 あまりに月並みなことで申し訳ないが、それは心の不調から来る体の変調を整えることに他ならない。しかし、そこには論理的な根拠を推察することが出来る。
 自律訓練法は、「両手両足が重だるくなる」「下腹部が暖かく感じる」「額が涼しく感じる」という自己暗示から、そういった体の状態を自覚して自律神経を調整する方法であり、精神科疾患に応用される。これは心が穏やかな状態の時の体の感覚を人為的に作り出すことにより、体から心の平安を作り出すというフィードバックを利用している。ここで注目なのは、そういった体の状態は鍼灸で比較的簡単に作り出せる、ということである。この方法は、積極的に活用されてよいと思う。四肢の配穴と下腹部の温灸が中心である。勿論、背部兪穴などを使用し、全身の硬結を取り除くことも有効であろう。
 しかし、もっとも注意を要するのは、何と言っても患者との会話である。心理学や臨床心理学の学習、精神分析の体験などを通して知った事の中で最も大きな事は、病気に関わる部分(特にストレスとなるあらゆる事柄)において、命令、強制、指導を行うことは危険であり、提示、誘導、勇気づけ、励まし、なども非常に注意を要するという事である。この領域以外の患者と、この部分は決定的に異なる。患者の話を受容し、良き聞き手になる事がまず重要であり、こちらの意見を述べるのではなく、患者自身が気付いていくことを待たねばならない。それをサポートするのが必要である。そのためには治療は必ず1対1でなくてはならないし、他者がそこに存在してもいけない。
 当院では、心理カウンセリングとの併用を勧めるようにしているが、ここでもまた新たな注意が必要となる。患者は、カウンセリング上での問題をいろいろ相談してくるが、それに関しては、一切相談に乗ってはならない。臨床心理士の言葉とこちらの言葉に、たとえ僅かでもずれが生じると、それは取り返しの付かない混乱を患者に引き起こすことになる。こういった質問にはその理由を添えて、はっきりと「それはカウンセリングの先生に尋ねてください」と伝えなければならない。ただ、中には、うつ病患者で鍼灸が著効を示すことがある。それを紹介する。
症例2・「うつ病」(30才・女性・大学院生及び事務パート)
 高校生から起床困難。夜不眠。2年前からうつ病発症。1年前から過食による急激な体重増加(160cm/68kg)。数年前から血管拍動性頭痛が夜に頻発。初診時の服用薬は、デプロメール、ノリトレン、リーマス、メントン、シンラック、ジヒデルゴット、補中益気湯、加味逍遙散、月経困難の為の低容量ピル。
 使用経穴・鍼を血海、足の三里、三陰交、曲池、合谷、左頭維。温灸を天枢、関元 / 鍼を腎兪(温灸併用)、大腸兪、次膠、膏肓(温灸併用)、へい風、承山。湧泉に温灸のみ。頚部から腰部まで主として補法による散針。以上を基本方針とした。
 約十回の治療で、向精神薬を全て勝手に中止したが、うつはすばらしく改善されて、生理良好、頭痛消失も見た。これまで様々な科でいろいろな薬を服用してきたのが、全て速やかにその必要がなくなったという極めて珍しい例となった。その後に、耳ツボ治療で8kg(4ヶ月間)の体重を落とすことに成功。

4・うつ状態に対する治療の実際(うつ病とうつ状態の鑑別が必要)
 うつ病が、今までの人生の何が原因で起こっているのか分からないのとは対照的に、うつ状態は、今存在する問題が引き起こしている心身が不調な状態と言い換えられるかも知れない。多くの場合、その原因が除去されれば、状態は快方に向かう。その鑑別は、一般的に起床時間である。うつ病患者では、起床困難な患者がすこぶる多い。そして、独特の表情を見せる。他に様々な指標があるが、それは専門書に譲る。
 治療方針は、うつ病に準ずるが、ここでは患者とのコミュニケーションにうつ病ほどの厳格な禁止事項はないと思われる。しかし、安易な発言は必ず慎むべきである。ここで、うつ状態ではないが、治療を失敗した例をひとつ挙げる
症例3・「パニック障害」(25才・女性・販売職)
 2年前に麻薬(マリファナ等)を使用して以降、フラッシュバックやパニック障害が起こるようになった。電車のホームで飛び込みそうになったり、急に前後不覚で泣き出したりと、時と場所を選ばず、症状が出現する。抗うつ剤を使用したが、それ以降頭痛が起こるようになり、服用を中止。週1回の治療(置鍼中にはカウンセリング)で、約半年で精神症状がかなり改善し、パニック障害は起こらなくなる。その後、時々、患者自身の判断で治療に来られていて、初診から約1年が過ぎていた。
 ある日、治療中に雑談していて、話がドラッグの話になってしまった。そこで、その患者はいきなりパニックに陥り、普通に話すことが出来なくなり、泣き続けた。症状が収まってから、約半年も経ち、こちらの気がゆるみ、会話があらぬ方向に発展してしまった結果である。その患者はそれから4ヶ月経った今、来院されていない。「私ぃ、多分、一生ハリしますぅ。」と言っていたのに。これが、「一言の怖さ」である。来院するかしないか、よりもその患者が今、どうしているか、気がかりでならない。しかし、こういったケースでは、電話するだけで、その時のパニックが、私の声を鍵刺激として再発する可能性もあり、連絡も取ってはならない。

むすび
 今まで、いろいろ述べてきたことは二つに大別される。ひとつは、コミュニケーションの難しさ。もう一つは鍼灸治療の限界。以上、ネガティブな事も書かねばならなかったが、あくまで私見である。他にも様々な注意点やテクニックが必要だが、原稿量の都合で他に譲ることにする。
 また、日本鍼灸師会のIT委員会で運営されていた患者向け鍼灸院紹介サイト「鍼灸ネット」の相談員を約3年間務めたが、そこにもうつ等の精神疾患に関する相談が散見された。そこでは「問い合わせの疾患に対する鍼灸の有効性の有無」を判断して、鍼灸治療に誘導してゆくのだが、精神科疾患に対する回答作成は非常に困難であった。それはその患者が訪れる鍼灸師の、精神科疾患に関する技術力が見えないからである。従って、是とも非とも言えないもどかしさがあった。様々な患者が電話やメールを通して問い合わせてこられるが、この領域の患者を受ける時には、是非とも言動に細心の注意を払って頂きたいと思う次第である。


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